こんにちは!Barney’s gardenへようこそ!
今回は「愛」と「恋」というなんとも曖昧なようだけど、いつの時代も誰にとっても必要な感情について記事にしてみたいと思います。
未だにロシアとウクライナの問題が世間の関心事として取り上げられています。もし、そこに「愛」があったら?そんなことは絵空事と捉え、嘲笑の対象となるかもしれませんが、子どもが夢を語るように大人だって夢や理想を語っても良いと思っています。
今回は戦争などに繋げるつもりはないですが、愛と恋を知り、皆さんの考え方がより素晴らしいものとなれば良いと思っています。
作家の佐藤優氏の新刊『13歳からのキリスト教』より抜粋し紹介します。
*この記事は宗教勧誘等を目的としている物ではありません。
「愛」と「恋」
なんとなく違いはあるのは分かるけど説明しろと言われると難しいかもしれません。
でも「恋」は分かるかもしれません。好きな人ができた、あの人を見るだけでドキドキする、一日中好きな人のことを考えているというのは経験ある人も多いのではないでしょうか。これがまさに「恋」ですね。
しかし、実際に付き合ったら自分中心の考え方は少なからず出る場合があると思います。独占欲が出たり、束縛したりと、、、これを「愛」かと言われるとそうではないと思います。
では「愛」とはなんでしょうか。キリスト教では「無償の愛」という言葉があるのはご存知でしょうか。
「無償の愛」とは見返りを求めず、その人の幸せを望むこと。「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。」これは聖書の一節ですが、これが愛だということなのだと思います。
「そんなこと言われてもピンとこない」「キリスト教ではないので自分とは関係ない」「自分の命を捨てるというのは極端すぎる」と思う人もいるでしょう。
しかし、思い出してみてください。
例えばあなたのお父さんは平日は朝早くから仕事して夜まで頑張ります。お母さんは子のために買い物し、料理をしてくれ、家のことをなんでもやってくれます。もちろん様々な家庭の形があるので、これが全てではないのですが、共通していることはあなたのために時間、もっと言えば命の時間を削り、愛情を注いでくれていたはずです。
これが「愛」だと言えば分かりやすいのではないでしょうか。
彼氏や彼女のために自分の時間を削ることもあるでしょう。しかもなんの見返りも求めず。
難しいようなことでも実際には人は「愛」を受け、「愛」の中で生きていると思います。
敵をも愛す
これには異論を唱え得る人が多いのではないでしょうか。ましてや今のロシアやウクライナの状況を知っている人なら尚更です。
ウクライナの人に「それでもロシアを愛してください」と言えるかというとなかなか言えないですよね。
これを実践した有名な人と言えばイエスキリストではないでしょうか。自分を迫害し、十字架に架けられても十字架の上で迫害する人たちのために祈ったというのは有名な話です。
これは簡単ではないと思いますが、これも「愛」するということのようです。
愛がなければ虚しい
先述の通り、誰かから愛を受け取っている人もいれば、愛を与えている人もいます。そういう「愛」の受け渡し(僕の感覚では与える方)って結局、幸せな気持ちになりませんか?
もし、この世に愛がなければどうなるでしょうか。
戦争は毎日のように繰り返し、人は利己的な感情に振り回され、争いが耐えることなく、なんとも虚しい世界になってしまいますよね。
しかし「恋」を知っていて「愛」を実践することができる人間というのは、幸せを感じることができ、それがさらに波紋のように広がり、自分の周りや世の中を変えていくはずです。
少し話がずれますが、商売も結局は愛がないと成り立たないかもしれません。「これがあったら困る人が減る」「ここにニーズがあるのなら自社の製品でニーズを満たしたい」というのも「愛」だと思います。
ここまで説明すれば「愛」がなければ虚しくなってしまうというのは想像に難くないと思います。
おわりに
いかがでしたでしょうか。
「恋」と「愛」。なかなか難しいかもしれませんが、なんとなくでも分かってもらえたら嬉しいです。
そして、こんな国際情勢だからこそ、今一度「愛」を感じ、他人を愛せる世の中になって欲しいものです。