こんにちは!Barney’s gardenへようこそ!
今回は世界の一流ブランドから注文が殺到している、紡績会社の佐藤正樹さんの糸に注目してみたいと思います。
僕も調べるまで全く知らなかったのですが、知れば知るほど、興味が出てきて、本来、個性を出さない1本の糸が、佐藤さんの糸はそれだけでデザイン性が高く、主張の高いものでした。
NHKの「逆転人生」でも紹介され、番組の中で山里さんが「糸が作りたいものを想像させるってすごい」と言ってましたが、本当にその通りだと思いました。
それでは早速、佐藤さんの紹介をしたいと思います。
佐藤正樹さんプロフィール
引用:https://www.rarenippon.jp/2018/07/11/2290/
佐藤正樹(さとうまさき)
生年月日:1966年生まれ
出身:山形県寒河江市
出身校:日大山形高校、文化服装学院卒
アパレルブランドに就職後、結婚を機に実家の会社へ就職。2005年佐藤繊維株式会社社長就任
苦境の日々
佐藤さんが子供の頃、実家の紡績工場は衣類の大量生産によりとても活気があったそうです。しかし、佐藤さんはもっと華やかな世界が良いと、プロボクサーを夢見てインターハイにも出場。プロボクサーにはなれなかったが、高校卒業後はデザイナーを目指し、アパレルブランド就職します。6年が過ぎ、彼女との結婚を機に実家にことにした佐藤正樹さんでしたが、父の方針もあり、糸作りの現場で働くことになりました。しかし、工場には子供の頃に感じた活気がなかったそうです。それもそのはず、1990年代の紡績業界は生産拠点の海外移転することにより、安い値段で大量の糸を作ることが主流になっていたからでした。結局、価格の安い中国産などにシェアを奪われてしまい、苦境の日々が始まったそうです。
自ら動き変革を求めた
このままではいけないと思い、もともとアパレルブランドにいたこともあって自力で服を作って売っていたそうです。実際に売れることもあったそうですが、売り込みをしたアパレルブランドの展示会に行くとデザインだけが踏襲された状態で安い糸を使って売られていたそうです。
そんな時一本の糸をまとめて編み込んでいたセーターををみて、感動した佐藤さんはそのセーターを作ったイタリアの工場を見学したそうです。そこには今まで見たことのない糸があり、一流ブランドのデザイナーが訪れていたそうです。見学中に工場長から「俺たちの考えた糸が世界のファッションの土台を作っているんだ。」
その言葉を聞いた佐藤さんは自分の考えを根本から否定されたそうで、逆転の鍵は糸作りにあると確信しました。
糸作りで大逆転!
イタリアから帰国し、オリジナルの糸の開発を進めましたが、周りからは反対されました。それでも引き下がらず、なんとか会社の上層部も了承。佐藤さんは糸のデザインを考え、開発から3ヶ月で今まで見たこともないような糸を作成することができました。
2001年、国内の繊維展示会で自身が作り出した糸を発表することにした佐藤さん。アパレルブランドは興味を持ってくれたが、値段が高いためにあまり売れなかったそうです。
それでも糸作りを諦めない佐藤さんはニューヨークの展示会に参加し、グラデーションのある糸をPR。これがかなり好評で、糸の値段が高くても評価は変わらないほどでした。そこから会社でも周りからの反応も変わったそうです。
更なる勝負のため、イタリアで開催される展示会に出品することにした佐藤さんは、アンゴラヤギのモヘア系の極細糸を作成することにしました。まずは南アフリカに行き、アンゴラヤギの飼育している農家を訪ねたそうです。そこではストレスをかけない飼育をしていたため、品質の良い糸ができるとして、取引を開始しました。極細糸を作るのは難しく、4年かけてなんとか開発することに成功。
これで世界と勝負できると考え、2007年イタリアに乗り込んだ佐藤さんを待っていたのは、賞賛の嵐だったようです。あるデザイナーは「まるで魔法のよう」と讃え、「デザイナーの思い通りの糸が作れる」と大好評でした。そこから世界の一流ブランドから注文が殺到したそうです。まさに大逆転ですね!
佐藤さんの会社ではファッション性と環境に配慮した、新しい糸の開発を進めているようで、会社でもオリジナルブランドを展開しているようです。そして、オリジナルブランドが大切にしている理念は「できるだけ長く大切に着てもらえる服を作ること」
https://www.fashion-press.net/news/20656
おわりに
いかがでしたでしょうか。苦境の日々の中にいても良いと思ったものを追求し、形にするというのはとても難しいことだと思います。それでも諦めず、今では世界から注目される会社にまでなったというから本当に尊敬します。
佐藤さんのオリジナルブランドにも興味がある方はぜひ下記よりご覧ください。